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カテゴリー「歴史」の記事

2007年1月 3日 (水)

今浜から比叡山は見えるか

フジテレビ系で今放送している「新春ドラマスペシャル明智光秀」

信長の比叡山焼き討ちの前触れのシーンで今浜(現在の長浜)から、信長、光秀と秀吉が比叡山を望むシーンがあった。また焼き討ち当日は燃える比叡山を秀吉が今浜の湖岸から見るというシーンがあった。

元長浜市民として「ん?」となるシーンだ。長浜の湖岸から比叡山は見えないはずだ。ましてや燃える延暦寺など識別できるはずがない。大津市内や草津市内の湖岸ならまだしも長浜からはどうやったって見えないはずだ。

長浜にいれば証拠の写真でも撮ってくるのだが、それは無理なのでいつぞやの伊吹山中から佐和山城が見えるのかを検証したときのように「Google Earth」で検証してみた。

ドラマでは今浜のどの辺りかはわからなかったので、とりあえず現在の長浜城がある辺りからびわ湖を眺めてみることにした。ちなみに長浜の辺りのびわ湖がもっとも横幅がある場所である。

Photo_6 まずは上空から眺めた平面図である。画面下の2006の数字がある部分がちょうど長浜城の有る辺り。延暦寺は黄色のマーキングの場所。

一直線上に結ぶと途中に陸地が重なる。ちょうど守山と堅田のびわ湖大橋がかかっている最も狭いところが視界に入ってくるので、対岸に比叡山がそびえているのは見えない。

Photo_7

次に、立体図だ。ちょうど今浜の湖岸に立って比叡山方向を真正面に見るとこうなる。

中央右よりの山並みは比叡山ではなく比良山脈である。

というわけで、比叡山は全く見えない。

400年以上の年月が経っているが、それほど大きな地形の変化は起こってないはずであるので、当時もこれとそう変わらない眺望だったはずである。

事実かどうかが確認しづらい歴史上のいろんな出来事よりははるかに事実確認が出来ることなのだから、これくらいは実際にロケハンして確認して製作して欲しいよなぁ。

2006年11月12日 (日)

伊吹山中から佐和山城は見えるのか?

今回も大河ドラマの話

慶長五年九月十八日、炎に包まれる佐和山城天守閣を、伊吹山中をさまよう石田三成が遠望し、茫然、無念の涙を流すシーン。

「葵 徳川三代」の第一話、それから第十二話、この時のシーンを始め多くの合戦シーンをこのドラマから流用している「功名が辻」の第四十四話でも同じシーンがある。

NHKさん、葵から全編ハイビジョン製作で良かったね。

この佐和山城、もちろんCGである。びわ湖に近い山城だったという史料をもとに、似たようなロケーションに現存する彦根城をベースに撮影し、周囲の街並みを消去、武家屋敷、農家、田園風景を合成、更に天守閣は中津城を使用し、そのほかの城郭のディテールには姫路城、唐津城を一部をパーツとして使用しているという。更に炎上シーンでは煙と炎を合成して落城シーンとされている。

で、このシーンを見て思った、「伊吹山から佐和山城はこういう風には見えんだろ」と。

長浜城ならまだしも佐和山は肉眼で見るにはちょっと遠いぞ、というか地形的に見えんのじゃ?まぁ長浜城だってあんなにはっきりとは見えんだろ。

確かめようにも、なかなか難しい。そもそも伊吹山中ってどこら辺?でも有る程度地上高が無ければなおさら見えない。でとりあえず自分が一番よく行く場所からならどうだろう?て事で三合目を選んでみた。

本当なら実際に三合目まで登ってきたいところだが、ちょっと遠い。ということで登場するのが「Google Earth」

最近は何か暇さえあればこのソフトで遊んでいる気がする。早速起動して佐和山城から伊吹山方向を見てみると、あらきちんと伊吹山は見える。それならと伊吹山三合目に登ってみて、佐和山城方向を見てみたのがこの絵。

Photo_5

真ん中の手前の白っぽいところが三合目の高原ホテルのある地点で、その上の方にある黄色の目印が佐和山城の天守閣があったとされる地点。これだと見えなくも無さそうだけど、視点がかなり高いので、実際にはやっぱり見えそうにない。

見えたとしてもいくら現代より空気が澄んでて、昔の人の視力が良かったとしても建物の形状や炎が上がっているのをまで認識するのには無理がありそう。まぁ炎上して黒煙が上昇しているのなら見えなくもないかもしれない。

ところで、最新のGoogle Earthは3Dモデルの図面を貼り付けて、建物をよりリアルに表示させることが出来たりする。またオーバーレイを使って別の情報を重ねたり、Google Mapsの地図を重ねたりととにかく飽きが来ない。

誰か城の3Dモデル作ってくれないかなぁ。でもって関ヶ原の各陣地図とか作ってくれると面白いだろうけどなぁ。

2006年11月 9日 (木)

葵 徳川三代

今日からスカパー!の時代劇専門チャンネルで大河ドラマ「葵徳川三代」が始まった。

葵徳川三代は2000年にNHKで放送された大河ドラマで秀吉が死んでからの家康・秀忠・家光の三代に渡る徳川政権成立の過程を中心に描かれたドラマで、当時大変気に入ってて毎週欠かさず見ていたドラマだ。

キャストは家康に津川雅彦、秀忠に西田敏行、家光に尾上辰之助を中心に豪華なメンバーで固められ、原作脚本にジェームス三木と王道である。

詳細はWikipediaで。

見所は何と言っても関ヶ原の合戦シーンで、ドラマとは思えない迫力有るシーンが満載であり、NHKの「その時歴史が動いた」とか今放送中の「功名が辻」など何度も使い回しされているくらいなのだが、それ以上に気に入ってるのがオープニング。

曲もいいし、わずか1分程のオープニング映像の中に、日本の四季折々の姿が治められている。樹齢三百年の又兵衛桜に始まり、これぞまさしく「美しい国日本」

大河ドラマ初の全編ハイビジョン撮影ということで、元がきれいなので普通の放送でも他よりはきれい。

ひょっとしてスカパー!110の方だとハイビジョン放送なのかもと思ったけど、残念ながらそうではないみたい。

当時はこんなにはまるとは思ってなかったので録画もしてない(最後の総集編だけ録画したな)けど、これを機会に全話録画するつもり。

NHKさん、朝の連ドラの再放送だけでなく過去の大河も再放送してくれないかなぁ。武田信玄は以前にやってたじゃん。葵徳川三代もぜひやってよぉ。

2006年8月16日 (水)

中国、またもサイバー攻撃予告

8月15日の靖国神社参拝は、早速中韓が反応してきたが、ttp://bbs.honkerunion.com/read.php?tid=2938には

8月15日,日本首相小泉纯一郎在东京悍然再次参拜了供奉有二战甲级战犯的靖国神社

という見出しで抗議する書き込みがされている。この書き込み中に

中国各大黑客网站以宣布在今天开始会对日本开始攻击

という一文があって中国のハッカーサイトが日本に攻撃を開始するということが書かれていた。

ちなみに総理官邸靖国神社のサイトも何ら問題なく閲覧できている模様である。

2006年6月13日 (火)

大河ドラマ「功名が辻」第24回「本能寺」

4月1日に書いた「功名が辻」本能寺の変の収録終わる。最後は銃撃戦。の放送が11日に行われた。

今までいろんなドラマで信長の最後が描かれてきたが、確かに今までにない描かれ方だった。

何と明智軍は鉄砲隊で本能寺に攻め入り、信長も銃を構えて応戦という石原軍団の舘ひろしにはふさわしいシーン?だった。

2ちゃんねるの実況スレでも書かれていたが、サーベルを振り回すシーンは、何かぎこちなさが感じられたような気がしたが、さすがに銃は扱い慣れてる。しかも百発百中。大門軍団、港署と渡り歩いてきて、西部署時代は二年連続で射撃大会優勝、港署時代は神奈川県警弾丸使用数トップに君臨しただけのことはある。というかたぶん舘ひろしは日本中の誰よりも一番発砲しているに違いない。

予告の割には本能寺のシーンは意外に短く信長もあっさり死んでしまった様な気がしないでもないが、信長がだんだん狂気じみていく様子なんかは、よく感じが出ていたように思う。

歴史にifはないけれどあの信長が甲冑の下にパイソンとM49ボディガードを身につけていて、馬の代わりにスズキの刀にまたがっていれば、世の中大きく変わっただろう。ってなんのこっちゃ。

もう来週からは「励め!」も聴けなくなるんだなぁ。それにしても主人公の旦那の一豊の存在感が無かったなぁ。

でも、このドラマを見ていて思ったのは、今回光秀を煽って本能寺を責めさせたのは忍びの香川秀吉六平太。

彼はいつも重要なシーンに出てくる。小谷城もそうだったし今回もそう。六平太が世の中を動かしているようにしか見えない。で、その六平太を自由に操っているのは実は一豊ではなく千代なんだな、これが。

2006年5月17日 (水)

午前or午後

2月11日に建国記念日と暦という内容で、今でも皇紀は有効だよとか閏年の定義は皇紀から計算するんだよという話をしたが、今回は時刻表記の話である。

メールヘッダ等に見られる日付表記にある「12:00 p.m.」 って一体何時?

実は日本での時刻表記はこれまた法的根拠がある

明治5年太政官布告三百三十七号にて午前午後の定期が決められている。

午前は正子から正午、午後は正午から正子

正子=午後12時=午前零時(1秒でも過ぎれば午前零時xx分xx秒)

正午=午前12時≠午後零時(午後零時は定義されていない)

つまり午後零時と言う時刻は無いのである。

社会一般では

公共交通機関は24時間制、損保業界は12時間制が用いられている

テレビ、ラジオ、新聞、電話の時報サービスは正子が午前零時、正午が午後零時

市販のデジタル時計はPM12:00が正午、これはアナログの文字盤が1~12までであり0の表記がなかったために、そのまま踏襲しているのだそうだ

実は、昭和51年に当時の文部省や日本時計協会を巻き込む騒ぎになり、諸外国の表示方法やアンケート調査の結果から12時表記は不適当、0時を用いるのが妥当との見解が示されている。

ちなみに小学校の教科書では、午前、午後とも「0時00分00秒」~「12時00分00秒」となっている

また軍隊など一つの始まりから終わりまでが日付をまたぐ場合には「20時から26時」などという表記が用いられる。

つまり12:00 p.m.は00:00(24:00)という事になる。

2006年4月12日 (水)

「功名が辻」長浜築城と長浜曳山まつり

今週のNHK大河ドラマ「功名が辻」では、いよいよ秀吉が初の一国一城の主となり、湖北今浜の地を長浜と改めて城を築いた。この長浜という地名は信長の名前から一文字もらって長浜にしたという説があるが、今回の大河ドラマではそのことには触れられていなかった。

さて、秀吉はこの長浜城主をきっかけに信長の後継者として天下統一を成し遂げていくのだが、長浜城主だった時に男児が出生し、長浜の町民に砂金を振る舞っている。

そこで、長浜町民はこの砂金を原資に曳山を造り、長浜八幡宮の祭礼に曳いたのが「長浜曳山まつり」の始まりとされている。

400年以上の伝統があり、日本三大曳山祭の一つとされ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。

長浜の旧来からの町毎に13基の曳山があり、その絢爛豪華な様子は「動く美術館」とも言われている。中でも見ものは毎年4基ずつの曳山の上で交代で演じられる「子供歌舞伎」である。5歳から12歳くらいまでの男の子が衣装に身を包み、大人顔負けの歌舞伎演技を見せてくれる。役者の男の子はほとんど学校にも来ずに歌舞伎の練習を行い、また世話役の町の若い衆と寝食を共にし、家族以上の付き合いで、歌舞伎練習を行う。ちなみに曳山の由来が男児出生祝いであることから、曳山は女児禁制。役者やしゃぎり演奏は全て男の子である。

そんな曳山祭であるが、今年は大河ドラマの放送や市町村合併による新しい長浜市誕生を記念して、毎年4基ずつしか出てこない曳山が20数年ぶりに13基全て展示されるのである。(子供歌舞伎は当番の4基のみ)

そういえば小学校の頃に13基全部が登場したことがあったが、それ以来という事だ。

祭のいろんな行事は既に始まっているが、メインの子供歌舞伎等は今週末14日~16日に行われる。長浜市一帯では北近江一豊千代博覧会というイベントも行われているという事で今年の長浜曳山まつりは大変盛り上がるに違いない。

今年は有休を取って帰省し祭りを観覧するつもりだ。

2006年2月11日 (土)

建国記念日と暦

2月11日は建国記念の日。戦前は紀元節と言われていた。
日本書紀によると、紀元前660年、初代天皇の神武天皇が即位したとされる日(1月1日 (旧暦))にちなんでいる。

ちなみに、日本には普段よく用いるキリスト紀元による紀年(西暦)と在位紀年による年号紀年(元号)の他にこの神武天皇即位の年を元年とする神武天皇即位紀元という紀年法がある。通称は皇紀(こうき)、神武暦(じんむれき)、神武紀元などと呼ばれているものであり、1873年(明治6年)1月1日の日本における太陽暦採用と同時に施行されている。昭和20年の終戦までは元号と共によく使用されており、有名どころでは帝国海軍の零戦の零は皇紀2600年が由来である。

さてそんな皇紀であるが、終戦によりいろいろと軍事色を無くすだの、思想的なことがあったのかも知れないが、現在ではほとんど目にすることはない。

ところが、現在でも法令上は皇紀は立派に有効なのである。例えば閏年の定義は明治31年5月11日に出された勅令第90号によって「神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得へキ年ヲ閏年トス但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ滅シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス」とされており、その後改正などは一切行われていない。つまり日本国内で閏年を決めるのは皇紀を元にしているのである。皇紀がなければ日本では閏年もなくなってしまうということだ。( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェー

そこでコンピュータの話、今から6年前、世界中が2000年問題で大騒ぎだった。自分も大晦日の夜から年が明けるときに各種トラブルに備えて職場待機をしていた。もし、もしも皇紀が世界標準だったら2000年問題は発生していなかった。その当時は皇紀2660年だもん。2桁処理をしていたとして40年も先の話。
ところが実際に皇紀で処理をしていたシステムがあったのだ。それは安田生命保険(現在の明治安田生命保険)。1970年代に構築されたシステムなんだけど、当時の担当者は20数年後に来たる2000年問題を予測していて、そこで年の下2桁を皇紀で表すこととして問題を40年先送りしたんだとか。

それよりも2038年問題ってのがあるらしい。C言語で開発したシステムをUNIX環境で使用すると、2038年1月19日3時14分8秒(GMT)以降時刻認識が出来なくなるらしい。
実は2038年を待たずともこの影響は既に発生しており、2003年1月にいくつかの銀行のATMが正常に動かなかったトラブルなんかはこの2038年問題が原因らしいし、他にもKDDIが同年3月に料金誤請求をやったのもこれが原因なんだとか。

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