先日、東映の映画「キャプテンハーロック」を見に行ってきた。もちろん3D版である。
キャプテンハーロックと言えば、言わずと知れた松本零士原作の各漫画・アニメーション作品に時代と場所を問わず現れる宇宙の大海賊である。
そのキャプテンハーロックが全編フルCGとなって劇場版が公開された。キャメロン監督が大絶賛したという前評判のもと、大きな期待をしながら見に行ってきたのである。
で、その結果は・・・
CGは確かによくできている(んだろうと思う)。でもアルカディア号のデザイン、何で変えちゃったんだろ。過去に映像化されている2タイプのアルカディア号、鋭角艦首型、髑髏艦首型に共通の艦尾の独特の造形美が無くなってしまっているのが非常に残念。アルカディア号は艦尾からの見え方が一番いいのに。
ハーロックが歩くシーン、ゆっくりと体を左右に揺らしながらコツコツと歩くシーンは、かつてNHK BS夜話でも取り上げられたが、劇場版銀河鉄道999で、惑星メーテルに鉄郎を助けに行くシーンでアルカディア号のブリッジで「男なら、危険を顧みず死ぬとわかっていても行動しなければならない時がある。負けるとわかっていても戦わなければならないこともある。」という名セリフをしゃべりながら歩くシーンでの歩き方。アニメーター友永和秀氏こだわりのこのシーンこの歩き方そのものだ。
指名手配ナンバー、S-00999。これなんかもアニメ「わが青春のアルカディア 無限軌道SSX」でイルミダス占領軍から全宇宙に指名手配された時のナンバーを踏襲している。
おぉ、きちんと他の作品との整合性を考えているというか共通点もつくってるなと細かい設定にも感心していたのだが・・・
ところが、どうしても納得のできない、これだけは許せないというシーンがあったのだ。
自分の見間違いじゃなければ、物語の終盤、ガイア・フリートの長官イソラをハーロックが背後から重力サーベルで撃つシーンがあったのだ。
ちょっと待て!ハーロックは決して背後から撃つなんてことはしない。こんなことをしたらエメラルダスに撃ち殺されるw エメラルダスは、人を背後から撃つようなやつは絶対に許さない!
あと、ヤッタラン副長がかっこよすぎというか、動きすぎというかしゃべりすぎというか。関西弁を話さず、プラモデルを作っていないヤッタラン副長なんて。
トチローはリアルに描くとやはりあれくらいにはなってしまうのかなぁ。仕方ないか。
イソラの奥さん、ナミ。なんだあれは、ハーロックやヤッタランとは別の既視感を感じたのだが、あれはどうみても剛力彩芽、ワンピース実写版かよ。
ハーロックのルックスはいい、でも往年のファンにはやっぱり井上氏の声じゃないとハーロックじゃないのだ。アニメのキャラクターってのは見た目と声があって初めてそのキャラクターが確立されると思うのだ。
メーテル、鉄郎、悟空、古代進、沖田艦長、ケンシロウ、ルパン、ドラえもん等々、やっぱりあの声があってのものなのだ。まぁ最近では代役や交代した後の人等でもキャラを確立させている人も出ているけれど。
っていうか、今回の映画、キャッチコピーが、「己を縛るものと闘え」、「世界を変えたければ、この艦に乗れ」なのだ。
いつの時代のハーロックにも共通の「俺の旗の下で俺は自由に生きる」が全くない。なんか自虐的というか、過去の自分の罪に束縛されているというか。
ウィキペディアには「「少年が何か困難に立ち向かう時に少しだけ手を差し伸べてくれる圧倒的な指導者」というイメージは現代には受け入れられないと考え、「世の中に対する異議の申し立て"よりしろ"的な存在であると解釈しました」と福井晴敏が語っている。」とあるが、それはハーロックじゃなくていいだろうと思う。
現代に受け入れられなかろうが受け入れられようが、ハーロックの信念、生き方を変えてしまってはいかん。受け入れられないのなら、生き方を変えてまでわざわざ映画化する必要はないんじゃないの。
今回の映画、確かに画はすごい(んだと思う)し、ストーリーもいいんだと思う。でも過去のアニメや原作のハーロックが好きな人ほど残念に思うかもしれない。初めてハーロックという作品に触れる人にはいいんじゃないか。そのあとでほかの作品を見るとあれって思うところも多いだろうけど。
と、結構辛口評価になってしまった。
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